悔しい思い、恥ずかしい思いはしたくないけど
敏感でメンタルが脆いので悔しい思いや恥ずかしい思いがしそうな予感を感じたら、そういう物事に関わらないように本能的に避けているのですが、
それでも生きていると痛烈に悔しい思いをすることや恥ずかしすぎてトラウマになるような出来事にぶつかることがあります。
ただ、それだけメンタルに突き刺さる思いをすれば必然的に次の自分の行動が促されるんです。
過去を振り返ると悔しい思いや恥ずかしい思いは、やる気のスイッチになったり、決断のきっかけになっていました。
だから、悔しい思いや恥ずかしい思いをしてもどうか落ち込みすぎず、次へのステップにしてもらえたら嬉しいです。
悔しいエピソード
「仕事で上司から○○さんなら得意そうだからと聞かれた内容に、満足に答えられなかった。」
こんな時、せっかく頼りにしてもらえたのに、うまく答えられず自分の力不足を痛感しました。
そして、気づいたらその日の仕事帰り、本屋に立ち寄ってその分野の参考書を購入していたんです。
多分この悔しい思いをしていなければ、私が本屋に立ち寄って、実際に購入する確率は非常に低かったと思います。
私のやる気スイッチを押してくれた出来事でした。
恥ずかしいエピソード
趣味で音楽をやっていた時、思い切って気になっていたグループのメンバー募集に応募したんです。
オーディションの日までできる限りギリギリまで練習を重ねました。
当日は人生でこれまでにないくらい緊張してしまい、もう誰が見てもズタボロの演奏。
いっそ哀れになるくらいでした。
実力が全然追いついていなかったというのももちろんあります。
ただ、なぜか面談の印象が人より良かったのか、この人がこんなボロボロな演奏するわけない、きっと全て緊張のせいだからと情けをかけられました。
実技だけ見ればどう考えても絶対不合格ラインなのですが、合格にしてあげてもいいのではないかと担当者の間で議論になっていたようです。
オーディション直後、実力不足を痛感したのでなんだか余計惨めになって恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。
協議の結果、結局不合格となったのですが、私はこれで踏ん切りがつきました。
なんとなく惰性で1人練習を続けてきたのですが、私は辞めるという決断が怖かっただけなのだと気付いたんです。
辞めてしまったらこれまで積み上げてきたものが無駄になってしまう。
だから、そこまで大した願望はないけれど、とりあえず練習だけは続けておこうとそう長年思っていたんです。
「辞めるのはもったいないから、とりあえず続けてしまう」
そうして人生の貴重な時間を使っていた。
今まで打ち込んできたものを辞めてしまったら、それまでの自分の人生が否定されてしまう気がしていたんですね。
だから、情熱が薄れていても辞められなかった。
その状態で次に進めないのは、かえってもったいないと思います。
私はこのオーディションのとてつもなく恥ずかしい出来事がきっかけで区切りをつけることができました。
これはきっと必要なことだったんだと思います。
まあ、もうあんな恥ずかしい思いはしたくないですが(^◇^;)
敏感な人ほど、こういった経験を何年も何年も強く思い出し続けるものです。
ただこれを悪い思い出としてでなく、自分を動かしてくれたきっかけとして捉えられると気持ちも楽になるはず。
皆さんもこうした悔しい思い、恥ずかしい思いをした際はそこから次につながるきっかけを探してみるといいと思います!
ではでは。
本日はこの辺りで。
なっぴーでしたm(_ _)m