- 内向型・HSP - 繊細さんのちょっとひと休み

繊細な人が生きやすくなりますように

繊細な人は社会で活躍できないのか?

今日はずっと思っている

社会へのモヤモヤについて

赤裸々に述べたいと思います。

 

それがタイトルにあげた

「繊細な人は社会で活躍できないのか?」

という問題です。

 

 

そもそも基準が多数派に合わせられている

 

社会でよしとされる評価基準って

大体どこも似たようなものです。

 

・ハキハキ元気よく挨拶できる

・素早く行動できる

・積極的に意見が言える

 

すごく雑な言い方をしてしまうと

要は「目立った者勝ち」な

側面がやっぱり大きいんですよね。

 

これは社会の中で内向的な人より

外向的な人の割合の方が多いために

 

外向的な人が外向的な人のために

作った評価基準に思えてなりません。

 

その評価基準が悪いと

言いたいわけでなく

あまりに基準が偏りすぎて

いるのではないか?と

思うのです。

 

これではどんなに

内向的な人がすてきな

側面を持ち合わせていても

 

外向的な人に合わせて作られた

評価基準の中では

どんなに頑張っても

内向的の人はゼロ点に見えて

しまうのではないか?

 

それが怖いし悔しいです。

 

繊細な人が提供できるもの

 

仮に外向的な人の評価基準で

ゼロ点になったとしても、

 

内向的で繊細な人が

提供できるものというのは

たくさんあります。

 

提供できる価値は

慎重さ、丁寧さ、細かさ、気遣い


人には得手不得手がありますから

こうしたタイプの人に無理に

元気やスピード、行動力を

求めるべきではないのです。


それは外向的な人たちに

向いたやり方なだけ。


それが唯一正しい頑張り方だと

考えられてしまうと

困ってしまいますよね。

 

少数派は肩身が狭い


社会の中で少数派というのは

何かと苦労すると思います。


周りにはこちらの言っていることが

理解できないかもしれません。

 

いろんな価値観があって当然なので

それは半分仕方のないことです。

 

でも、外向的な人のやり方を

押し付けられてばかりだと

正直肩身が狭くて

息苦しくないですか?


元気よくガッツがあるだけで

社会が成り立っていると

思ったら大間違いなのです。

 

淡い希望

 

だからこれはささやかな

社会に対する淡い希望ですが

 

どうか繊細な人が持つ力、

よく見ていて欲しいです。

 

繊細な人は自分から

私が私がと声をあげるのが

好きではありません。

 

ひっそりいつの間にか

事を成しているものです。

 

だから意識して見て

はじめてその力というのが

見えてくるはずです。

 

そして繊細な人は

なるべく自分の価値を

認めてくれる環境を

探してみて欲しいです。

 

今の場所というのは

本当に限られたごくごく

小さな環境です。

 

自分が提供できる価値を

喜んでくれて認めてくれる、

そんな場が見つかりますように。

 

そして自分も

そんな場を提供できる人間に

なれますように。

 

 

ということで

最後までありがとうございました。

 

また別の記事で!