体調が悪いのになぜか無理してしまう人
友達や親しい人が体調を悪くしていたら、きっとこう声をかけるのではないでしょうか?
「無理せずゆっくり休んで」
それなのに、自分自身が体調を崩した時に自分に対してこう声をかけられる人は少ないです。
なぜ体調が悪いのに無理してしまうのでしょうか。
私は体調が悪い時に無理してしまう人が世の中から減ってほしいので、無理する癖がある人に向けて、この記事を書きたいと思います。
何を隠そう私自身、昔は猛烈に体調が悪い時でも頑張って出社して定時まで仕事をしてしまっていた人間です。
ということで、自戒を込めて以下お送りします。
無理する癖の発端は子供時代にあり?
子ども時代、学校や習い事で皆勤賞というものがありました。
休まず全ての日数出席すると、「休まずによく頑張りました」と表彰してもらえる制度です。
そういう習慣から、
「休まない=褒められる=偉い」
という図式が私たちの頭にインプットされたのだと思います。
たしかに休まず毎日通えるのはすごいことで、それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、この習慣から休むことに対しての罪悪感が育まれてしまったのも事実ではないでしょうか。
休むというのも、後に元気に活動するための立派な選択です。
体調が悪くて休んだらむしろ、「しっかり自分の体調を把握して判断できていますね」と褒められるくらいがちょうど良いのではないでしょうか。
無理して良かったことなどない
私も例に漏れず休むことに罪悪感を覚え、優等生で居続けたいために、体調が悪くても昔は無理して働いていました。
ただ、そんな状態で仕事がろくにできるはずもありません。
朦朧とする意識の中、必死にパソコンにかじりつき、早く定時にならないものかとひたすら耐える時間。
しまいにはどんどん体調が悪化して耐えられなくなり、トイレでうずくまることも何度もありました。
こうして休まないという形ばかり取り繕い、仕事の中身は全く進んでいない有り様、そこまでして仕事をする必要があるのでしょうか?
答えはNoと決まりきっています。
我慢するほど他人を恨む羽目になる
また厄介なのは、自分の我慢というのを無意識のうちに他人にも強要してしまうことです。
自分はちょっとぐらい体調が悪くても我慢して働いているのだから、みんなだってちょっと体調が悪いくらいで休んではダメだ。
こういう思考になってきて、もしこの思考から反した人物がいたら恨むようになってしまうんです。
あの人はだらしがないとか我慢が足りないとか。
こういう考えの人が増えるほど会社や社会、そして日本全体が生きづらい空間になっていきます。
でも、自分がちゃんと自分に対して休むことを許せれば、他人が休んでいても許せるようになります。
そうして許せる人が増えるほど、その空間は優しく生きやすいものになっていくと私は思います。
ちゃんと休もう
言いたいことはただひとつです。
無理せずちゃんと休みましょう、自分のために他人のために。
他人を気遣うように、自分を気遣うことが巡り巡ってまた、他人のためにもなります。
それが休みやすい空気感というものです。
ということで、体調が悪いのになぜ無理してしまうのかについてでした。
お読みいただきありがとうございました。