- 内向型・HSP - 繊細さんのちょっとひと休み

繊細な人が生きやすくなりますように

自己肯定感が下がっていた理由

子どもの頃から

大人になってもなお、

ずっと自己肯定感が低く、

人目を気にして生きてきました。

 

 

常にどう見られたいかを意識して、

自分の本心とは違う行動を選択し、

そんな自分に嫌気がさすことも

しばしばの状態。

 

 

そうした行動パターンを

とっていた理由はシンプルに、

 

周りより優れた一番で

あろうとしていた

 

からです。

 

 

私は一番であることに

固執していました。

 

 

なぜって、

 

一番になったら、

人から愛してもらえると、

認めてもらえると、

好いてもらえると、

信じて疑わなかったからです。

 

 

真面目だけれど

自己肯定感が低い人は、

たぶんこうした考えが

あるのではないでしょうか。

 

 

誰より真面目に

コツコツとやっている、

でも自分に自信がとってもなくて、

人からの評価に敏感で…。

 

 

それはきっと、

 

人から愛されるために、

認められるために、

好いてもらうために、

一番になろうと必死だからです。

 

 

でも違ったんですよね。

 

 

子どもの頃からずっと

抱えてきたこの悩み、

ようやく目指す方向性が

誤っていたと気づきました。

 

 

何かで一番になったら、

褒めてもらえることは

あるかもしれない。

尊敬してもらえることは

あるかもしれない。

 

 

でも、

 

それは愛されること、

認められること、

好いてもらえることと

イコールではないのだと。

 

 

愛くるしさ、

そして相手の存在の肯定、

一緒にいて好きだと

思えるかどうかは、

能力だとか優秀さとは

関係ないんですよね。

 

 

冷静に自分がどういう人のことを

ステキだな、仲良くなりたいな、

と普段思うかを振り返れば、

それは見えてきます。

 

 

決して何かで一番の

結果を残していることだけが

理由ではないはずです。

 

 

何かで一番になることが

人から興味を持ってもらえる

きっかけにはなりえても、

じゃあその人に好意を持つか?は

また別の問題なんですね。

 

 

頼りないけれど

隣にいるとほっとするとか

 

雑なところもあるけれど

困った時いつも助けてくれるとか

 

声が癒しだとか

 

笑いのセンスが似ていて

一緒にいると楽しいとか

 

ニコニコ頷いて話を

聞いてくれるとか

 

 

きっとそういうところです。

 

 

だから

何かで一番になろうと

必死になることを、

私はやめました。

 

 

そしたら少しずつですが、

素の自分が出てくる

ようになりました。

 

 

それは今までの

生きづらさと違って、

 

何だか穏やかな気持ちで

いられるんです。

 

 

自分のことも

以前よりは好きに

なれてきました。

 

 

だから私のように、

自己肯定感を低さから

一番であることに

固執している人へ、

この記事が届いたら

何よりです。