こんなことでつらいと思う自分はダメなの?
「前はこれくらい平気だったのに…」
「みんなは普通にできてるのに…」
こんなことでつらいと思うなんて
自分はダメなんじゃないか?
そう思うこと、家庭でも仕事でもあると思います。
自分を責めますよね。
つらさのレベルが低すぎだと。
でもそうすると結局心がもっと苦しくつらくなるのも事実です。
こんな時心を軽くする方法を考えました。
それは実に単純で
つらさを正直に認めることでした。
つらいなんておかしい
「だって前は平気だったし、みんなだって同じことをしていても全くつらそうじゃない」
だからつらいなんて思ってしまう自分はおかしいんだ。
そうやって自分を責めるのですが、
責めれば責めるほどつらい気持ちの行き場がなくなり、もっと苦しくなるんですよね。
つらさは本物だった
ついつい昔の自分や周りのみんなとつらさ比較をしてつらさの真偽を判断しがちですが、つらいと思う気持ちに偽りはなく本物でした。
考えたら当たり前といえば当たり前のことです。
考え方はコントロールできたとしても、気持ちは自然発生するもので感じた気持ちは全部純粋な本物なんです。
だからつらいと思うならそれは間違いなくつらいのです。
誰がなんと言おうとつらいものはつらい。
そこに嘘はありません。
私がつらさを否定しかけた時
私も自分のつらいと思う気持ちを否定しかけました。
それはどんな時だったかと言うと
以前は週5日フルタイムで会社に行って仕事をする生活を送れていたのに、
リモートワーク体制になった今、たまに出社して1日仕事をするだけで疲労困憊になってしまい、帰ってから動けなくなってしまう自分に絶望したからです。
「たった1日でこんなつらくなってしまうなんて、おかしい!」
「自分弱すぎ!」
そうつらさを否定しかけました。
でも先にあげたように気持ちは嘘をつきません。
気持ちは正直者。
それを思い出して自分を責めるのをやめました。
つらいと思う自分を認めるのが怖かった
きっとつらさを否定したくなるのは、つらいと思う自分を認めるのが怖かったからだと思います。
弱い自分を認めたくなかったんですね。
強い自分でありたいという願望から気持ちをねじ曲げようとしていました。
つらさの次にあるもの
でもそこで潔くつらさを認め受け入れた時、はじめてつらさを解消するための方法を考えられるようになります。
もしつらさを否定してしまっていたら、つらさを解消するための方法を考えることなく、ただがむしゃらに頑張るという選択をしてしまっているところでした。
その場合、その先に待っているのは限界を迎え取り返しのつかないくらいボロボロになった自分だったはず。
危ないところでした。
みなさんのつらい気持ちも本物です。
つらさを認めるというのは自分を大切にすることと同義です。
自分の気持ちに寄り添っていきましょうˆˆ