無駄な時間は無駄なのか
無駄について考えてみました。
『 無駄をなくし、効率よく生きる 』
皆さんはこういったライフスタイルに憧れるでしょうか?
憧れる人も憧れない人も今一度、一緒に無駄について考えてみませんか?
そこにあなたにとっての豊かさがあるはずです。
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私は効率よく生きる方法について解説している記事や動画を好んでよく見ていたように思います。
でも、ふと
無駄な時間って本当に無駄なんだろうか?
そもそも無駄の定義とは何なのか?
そんな疑問がむくむくと湧き上がってきました。
私たちが無駄と定義する多くの場合は、自分にとって利益があるか、得があるかといった損得感情からくるものだと思います。
テレビを見たり、ゲームをしたりする時間は無駄な時間だから減らすべき、
みたいな尺度です。
こういう損得勘定で私達は無駄か無駄じゃないかを判断していると思います。
たしかに表面的な部分では、だらだらテレビを見たりゲームをしたりするだけでは、お金が稼げるわけでもなく、何か生み出しているわけでもありません。だから無駄として切り捨てられがちです。
でも、もしその時間が当人にとって心から楽しい時間でストレス解消になっていって、人生の幸福度が上がっているとしたら、
これはもう無駄とは言えないですよね。
また何もしていないぼーっとする時間なんかも無駄な時間として考えられがちです。
でも実はぼーっとしている時間こそ、普段使われていない脳の部位が活発的に働いてクリエイティビティが上がるとも言われています。
つまり、
表面的には無駄な時間に思えても、実は全然無駄じゃないということです。
こうして見ていくと、無駄な時間なんてそうそうないのではないでしょうか。
これをもし損得感情からくる無駄という定義に従って、自分の生活から1ミリの無駄もなくしてしまったとしたら。
いったい人はどうなるのでしょうか?
無駄がないの究極の形と言えばそれはロボットだと思います。
彼らはプログラムに従い、無駄な動きはありません。
現代は効率ばかり求め、無駄をどんどん排除していってしまいます。
無駄が淘汰される時代です。
人間は今、ロボットに向かっていっているのかもしれません。