自分の存在価値を形で残しておきたかった
今日は内向型あるある、というよりは自己肯定感低い系あるあるかもしれません(苦笑)
私はなぜか、小さい頃から(記憶の限りでは小学生辺りから)自分の行動を記録しておかないと不安でした。
どういうことかというと、
例えば夏休みの宿題で毎日日記を付けるというのがあったかと思います。
「今日は宿題をどこどこまでやった」とか「今日はどこどこにお出かけした」なんて書いていくやつですね。
多くの人は面倒臭いと感じてしまいそうですが、これの延長の感じです。
小学生~中学生の頃が1番すごかったのですが、
分単位で1日の自分の行動記録を書いていました。
何時何分何をした、と意識して覚えておき、1日の終わりに日記に記すのですが思い出せない部分があるともう焦って焦って、必死に思い出していました。
総理大臣の行動記録でもないのに、
今思うと自発的にここまでやるってちょっとやばいですね^^;
その頃と比べると今はだいぶ落ち着いていますが、仕事終わりにその日やった業務を箇条書きしていくのが習慣になっていました。
日報のようなものですね。
会社によっては日報提出がもともと義務になっているところもあると思いますが、
私は誰に提出するでも見せるでもなく、あくまで自分の記録用。
周りを見てもそういう日報的なものを自主的に書く人の姿は社内で見受けられないので、自分は何だかマメなのかなとも思いましたが、
最近ちょっと気付きました。
形あるもの・目に見えるもので自分の行いを残しておかないと自分の存在価値を確認できないからなのではと。
不安なんですよね。
やったことがちゃんと記されていないと自分は何もしていないことになる、誰の記憶にも残らない、
私は結構忘れっぽいので、そうすると本当に誰の記憶にも残らない。
"何もしていな私には存在価値がない"
そんな不安感が常に根底にあったのかもしれません。
これってまあ、つまり自己肯定感が低いということですね。
だから
そのままの自分を丸ごと受け入れて、そのままの自分で充分価値があるんだと、自分のことを好きでいることができれば、
いちいち記録なんかに囚われなくなるのかな、ふとそんな風に思いました。
同じような方いらっしゃいますかね?
いきなり、「そのままのあなたでもう充分素敵です」と言われたとしても、なかなか受け入れ難いと思うのですが、(私がそうなので汗)
それを受け入れられるときっと気持ちがずっと楽になって、
自分にも周りにもこれまで以上に優しく接してあげることができるかもしれません。
意識していきたいと思います。
また何か変化があったらご報告しますね。
それでは今日はこの辺で。
最後までありがとうございました。