なにも出来なかった時間への罪悪感
真面目な人ほど
なにも出来なかった時間に思いを馳せて
ダメなやつだなと自分を責めていますが
それはもったいない時間の使い方です。
こんなツイートをしたのですが、
なにも出来なかった時間に思いを馳せるより、なにか出来た時間がどれだけ充実していたかを顧みた方が有意義💡
— 🌟なっぴー🌟HSP・内向型を活かすぞ! (@nappi_sensaisan) 2020年5月10日
同じ過ぎた時間を考えるにしても
なにか出来た時間に対してその充実度を顧みた方がずっと有意義ですね!
出来たそのなにかが、自分にどう影響をもたらしたのか?
その時間が楽しいと思えたか、満足感を得られたか。
そうでなければ、次回からはどう行動を変えていくか?
こうしていくと時間の充実度が上がると思います。
逆になにも出来なかった時間に思いを馳せても
そこからなにか生まれることはないし、特に学びも得られません。
ただ、失った時間を後悔するのみ。
もともと人よりも繊細で
多くのエネルギーを消費して活動しているHSPや内向型は
必然的になにも出来ない時間の方が増えがちです。
それは仕方のないこと、というか
「なにも出来なかった=充電していた」
ことになるので厳密に言うとなにも出来なかったわけじゃないんですよね!
人はあるものよりないものや失ったものにばかり意識を向けてしまうので
ついなにも出来なかった時間の方を気にしてしまいますが、
これからはなにか出来た時間にもっと目を向けてあげたいものです(*´`)
ということで「なにも出来なかった時間への罪悪感」というテーマでお送りしました。
この記事が誰かのためになったら嬉しいです。
それでは、また。
なっぴーでしたm(_ _)m