生きてるだけで偉いだなんて
生きてるだけで偉い
生きてるだけで価値がある
そういった優しい言葉を目にする度
ひねくれ者の私は
いや、そんなの綺麗事でしょ
とその言葉を拒絶してしまうことがあります。
精神的に落ちている時は特にそうです。
わかってるんです。
素直にその言葉を受け入れた方が建設的だし、
実際自分でそういった言葉を言い聞かせることもあります。
でもどうしても抵抗感がある時もあるんです。
なのでもうちょっと具体的に
生きてるだけで偉い
生きてるだけで価値がある
を考察したいと思います。
生きて消費して役に立つ
生きてることが偉い、価値がある、
とだけ言われてもピンときませんよね。
じゃあどう役に立っているのかを考えてみることにします。
まず生きているといろんなものを消費します。
電気に水道、ガス、食料、衣服、その他もろもろ。
人は絶えず何かを消費することで生きています。
これはつまり経済を回しているということです。
電気を使えば電気会社に勤めている人のお給料となりその人の生きるお金になるし、水道やガスも同じですね。
食料にしてもこちらが消費することで生産者から、加工業者、輸送業者、販売業者と多くの人の生活資金に還元されるわけです。
こちらの消費が誰かの生きるお金になっています。
だからとりあえず、完全なる自給自足生活でもしていない限りは巡り巡って誰かの生きる力になって役立っているということですね。
自分は何も生産してない、価値を生み出していないと思っていましたが
一応間接的ではありますが誰かの役には立っているみたいです。
誰かのモチベーションになる
次に消費とは別の視点でも考えてみます。
私達は日々、いろんな情報を見聞きしていますよね。
あなたがYouTubeで動画を再生したとします。
そしたら再生回数が1増えますよね。
さらにグッドボタンも押したとしましょう。
それは投稿者のモチベーションを上げ、希望や活力を与えることになります。
YouTubeでなくAmazonプライムやNetflixで動画を再生した場合でも
再生回数が増えれば製作者たちも評価され次の制作の一助となるでしょう。
TwitterやInstagramのいいねなんかも同じですね。
発信者側の支えとなります。
つまり、何気なく情報を見聞きしているだけでも実は巡り巡って誰かの力になっているということです。
休日にぐーたら動画を見漁って罪悪感を感じていた人も誰かの役に立てているとわかったらちょっとはその罪悪感も薄らぐでしょう。
人は頼られて喜ぶ
もうひとつ、役に立っているとすればそれは人の厄介になることなのかもしれません。
厄介をかけて役に立つだなんて矛盾している気もしますが、
世の中は誰かの厄介事を解決するための様々な仕事で溢れています。
人はなぜか頼られるのが好きなんです。
自分の存在価値を感じられるからでしょうか。
だから人様の厄介になることは、実は相手の存在価値を高めるという点で役に立っているとも言えます。
みなさんも誰かから相談事をされたら、厄介だなと思いつつもちょっぴり嬉しくなりませんか?
頼られるって何だか嬉しいものです。
相手を傷つけるような厄介事はごめんですが、
いつも人に迷惑をかけてはいけないと自分をきつく律している人は、もうちょっと相手に迷惑をかけて、たまには困らせてみるのもありかもしれません(笑)
まとめ
ということで生きてるだけでどうして偉いのか、価値があるのかをちょっとひねくれた視点で見てみました。
生きてることが
経済を回し、誰かのモチベーションになり、人を喜ばせるということですね。
何者でもなくても、素晴らしい何かを作り出せなくても、自分が一応役に立っていることがわかりました。
生きてるだけでとりあえず役に立てているようで一安心です。
それでは今回はこの辺で!
お読みいただきありがとうございました!