ダラダラすることの罪悪感ほど残念なことはない
たとえば仕事を休んだ日。
普段だったら自分も働いている時間。
みんなは今頃せっせと慌ただしく仕事している時間。
ダラダラすることへ異常に罪悪感を抱くことってないでしょうか?
でも、この罪悪感ほど残念なことはありません。
必要なのはこうしてダラダラできることへの感謝と幸せを感じること。
今回は罪悪感に駆られてせっかくダラダラできるのに、ダラダラを楽しめない人に、読んでもらいたい記事となっています。
┅┅┅
ダラダラできる環境にあるというのはとても恵まれています。
世の中にはダラダラしたくてもダラダラしている場合ではない人がたくさんいるから。
それは自分で用意した環境でもあるかもしれないし、誰かから用意された環境かもしれません。
厳密にはどちらもですね。
誰かが作って提供するあらゆる物質やサービスと、自分の現在の状況が合わさってダラダラする環境を手にします。
ダラダラできてありがたい。
さて、そこに罪悪感を抱くべきなのでしょうか?
私はそうは思いません。
ダラダラできることに感謝と幸せを感じて、ダラダラから抜けた時に周りにエネルギーを還元できればいいのだと思います。
罪悪感は一旦横に置いておきます。
ダラダラを満喫して心身をリフレッシュさせ、そうして生まれたエネルギーから今度は誰かのためになる何かを作ったり、気持ちの余裕から優しく接することができたりとプラスの出来事が循環していくのだと思います。
┅┅┅
一方で、もし罪悪感を感じながらダラダラしてしまった場合。
せっかくダラダラする時間があったのに心身はイマイチリフレッシュできていません。
どこかどんより重たい心地がしていると思います。
そうした状態で、ダラダラから抜けて生活に戻った時、果たして周りに還元できるものはあるでしょうか?
下手すると、自分以外の誰かがダラダラしていた時に過剰に嫌悪感を抱いてしまうかもしれません。
自分への罪悪感は誰かへの嫌悪感に飛び火してしまうんです。
せっかく手にしたダラダラできる時間に罪悪感を感じてしまったら、マイナスの影響ばかりになるんです。
それであれば、ダラダラする時は感謝と幸せを感じながら思いっきり楽しむのが一番ですよね。
┅┅┅
さて、ここまで読んでみていかがでしょう。
少しはダラダラすることへの罪悪感が減っていたらうれしいです。
自分が頑張りすぎると周りにも頑張りすぎることを無意識に強要するようになってしまうので怖いものです。
お互い心身ともにもう少しゆるりと、余裕を持って過ごしたいですね。