文句の一つも言わずに偉いですねって全然嬉しくない
ずっと我慢することが偉いと思ってきた。
職場で不満があっても、面談で「特に何もないです」と答えていたと思う。
でも今は考え方を改めた。
こんなつらいのに気づいてもらえない
こんなに我慢して必死に耐えても、びっくりするくらい周りは察してくれないし、気づいてくれない。
私が何を我慢して何に不満を抱いているのか。
全然伝わっていなかった。
なぜなら、文句の一つも言わなかったから。
当然と言えば当然だった。
文句がない=納得している
昔の私は、相手が察してくれる、気づいてくれることをどこまでも期待していた。
周りからしたら、文句の一つも言わないということは、現状に納得している風に見えてしまうのに。
そう捉えられてしまうんだと後から気づいた。
私は相手にとって、文句の一つも言わずに、淡々と真面目に働いてくれるいいカモだ。
使役する側にとって、これほど都合のいい人間はいない。
我慢が偉いという錯覚
昔の私なら文句の一つも言わない自分を偉いと思っていたけれど、
今考えると
「文句の一つも言わずに偉いですね」というセリフは、過去の自分への最後の皮肉だ。
我慢し続けると、最後には自分が破滅してしまう。
文句の一つでも言っていいんじゃないか?
思うところがあるのならば、少しぐらい文句を言ったっていいんじゃないか?
もちろん言葉は選ぶ。
そして、グチグチせずに出来るだけさっぱりと、でもはっきりと。
言っても伝わらないかもしれないけれど、言わなかったら、そもそも1ミリも伝わらない。
日本人特有の行間を読むみたいなことを相手に期待しすぎても、これまでろくなことがなかった。
文句も言い方次第
文句を言うことに罪悪感を感じてしまうかもしれないけれど、要は言い方次第。
私はこういうところが納得できないという意思を伝え、だからこうしたらいいんじゃないか、またはこうして欲しいという提案を添える。
それで文句の一つでも言って何も変わらなければ、いっそその場を去ってしまってもいい。
何か考えがあって、戦略的に文句の一つも言わずに我慢するというのは場合によってはありだけれど、くれぐれも我慢のしすぎは禁物。
そんなことしたら生きづらさが増してしまう。
言葉を選びつつ、文句の一つでも言ってやろう。