救いを求めて開くSNS
ついつい開く、SNS。
開く理由の一つには、自分の生活の閉塞感から抜け出すための救いを求めている、という部分がある気がします。
何となく今の生活がつまらない。
現状に不満がある。
でもそれを変えるのにどうしたらいいかわからない。
だから現状打開するための何かしらの救いを求めてSNSを開くのではないでしょうか。
ただ、ここで気をつけたいことがあります。
救いを求めて開いたはずのSNSで、逆にメンタルを病んでしまうパターンです。
優しい言葉を求めていたはずなのに、そこに並んでいるのが攻撃的な言葉だったり不安を煽る言葉だったりすることは往々にあります。
また、キラキラとまぶしい発言に自分が潰れてしまいそうになることもあります。
これじゃあ、何のためにSNSを開いたのかわかりません。
こんなことにならないためにも、タイムラインの健全化は必須課題です。
フォローする人をきちんと見極める。
一度フォローした人でも合わないと感じたらフォローを外す(もしくはミュート)。
見たくない投稿が流れてきたら「興味がない」などの選択肢からフィードバックしてタイムラインの最適化を図る。
ちなみに仮に自分がフォロー外される側でも気にしすぎることはありません。
合う合わないはあって当然です。
むしろ合わない人が自発的に離れてくれるのだから、それはかえって喜ばしいことかもしれません。
と、ここまでSNSの弊害について語ってきましたが、もちろんいいこともたくさんあります。
見ず知らずの人が悩みに寄り添ってくれたり、新しい価値観にハッとさせられたり、誰かの言葉に勇気付けられたり。
要は使い方次第なんですよね。
SNSは毒にもなるし、薬にもなる。
SNSに限ったことではありませんが、自分に最適な使い方を今後も模索していきたいなと思います。